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 私が聞く私の声と、相手が聞く私の声とは違う。その事実を録音機器などで確かめる。

「ああ、私の声は、¨本当は¨こういう声なんだ」

と。しかし、私が現実に暮らしているときに、身体の内側にあって直接聞いている私の声は偽物ではないだろう。つまり内側にいるときと、外側から聞くときとで、音声体験が違うだけである。厳密に言えば、

「いや、全然変じゃないよ。あなたの声はこんな感じだよ」

というときの、あなたの声(つまりは私の声)も、聞く人によって(全くの別物ではないかもしれないが)違っている。それは耳が違うのだから(一個の耳を皆で物理的に共有している訳ではないのだから)当然だ。

 また、人が、或る人に対して持っているイメージは各々で異なるが(似たイメージを持つ場合でも、質的な差がある)、そのイメージの差によっても、音声体験には微妙な違いが出来てくる。つまり、人はイメージを聞いている。それは、肉声に先行したり、後から加わったりしながら、その人だけにしか聞こえない、或る人の音声を作っていく。イメージを聞いているとはどういうことか。読書体験による、ある瞬間を思い出してほしい。肉声を一度たりとも聞いたことがないが、好きでよく読んでいる作家がいたとする。ある日、ひょんなことからその作家の肉声を聞くような機会が訪れる。すると、ほぼ必ず、

「あれ? イメージと違う」

という気持ちが起こってくる、この、イメージである。普段、その作家の文を読んでいると、幻聴のように実際に音声が聞こえるような感じになる訳でもなく、また自身の頭の中で独自にその作家の音声を作っている訳でもなく、ただ黙って静かに先へ先へと進んでいくだけで、イメージが自ずと立ち現われ、音声ではない声といったようなものがこちらへと運ばれてくるようなことが起きる。このとき、肉声の混じらないイメージだけを聞いているのだ。イメージを聞くとはそういうことである。しかし、実際に発せられる声というのは肉声とイメージの混じり合いで成り立っているから、初めて肉声に触れたとき、それがイメージだけを聞いていたときと全然別のもののような感じがするのは当たり前のことなのだ。

 そうすると、抱くイメージの変化によって、私のところへ届いてくる或る人の声というのは微妙に違ったものになっていくだろうし、おそらく、或る人が私に対して抱くイメージの変化によっても、私に届く或る人の声というのは多少なりとも違ったものになってくるのだろう。