<184>「私は納得ずくでこの道の上を」

 自分と似たものが出来上がれば、延長が分かりやすいのか。恐怖としての欲望、つまり怖ろしいまでに同じものを望んでいる。私がここで続いていくという幻想を保持しやすい。教育の運動というのは、開いていくと同時に閉じていく。同化していくことを望む場合と、半ば力強く引っ張ってくる場合と、動きの流れる方向自体は同じだが、さて・・・。その人の身になっていく、埋没していく、それが義務であることはつまらないと感じる。ここで、つまらないと感じているとき、何かを感じ損ねている? 望まずに潜っていくことが怖ろしいと。では何故、望んでいる場合は大丈夫なのだろう? そして事実、それによって拡がりもするのだろう・・・?