<186>「私は覆えない」

 判断することには、覆ったと勘違いする危険が含まれている。いや、判断すること即ち、勝手に覆ってみせることなのかもしれないが。これは不可解なことかもしれないが、誰かのことを私は全面的に掴む。しかし、その人の全体を掴む訳ではない。であるから、私の取るべき態度は、自分がどうしても全面的に掴んでしまっているものを感じながら、決して判断は行わず、その人の茫漠たる全体に、静かに執拗に潜っていく、というものになる。

 あるときは有用性の側面から(つまり、この人はもう現代では役に立たないだとか)、あるときは勝手な興味の喪失から、あるときはその人に優ったという意識から(もはや、私にはこの人から教えられることはない)、勝手に判断を下して、何となく片がついたような気持ちになる(所詮この程度さ・・・)。しかし、どんな人であれ、人ひとりの規模というのはそんな小さなものではない。誰であれ完全に覆い切れることなどない。片がついたと勝手に思っていると、必ず後で不意打ちを食らう。