<194>「同じ点の揺れを」

 同じ物事を明るい方向と暗い方向とから眺めることの出来るのは、眼の機能でもあるのだろうが、実際に物事がそのふたつをそもそもの初めから持ってしまっているということもあるのだろう。それは生と死というものがしっかりとくくりつけられているからだと思うのだが、もちろん生が明で死が暗という訳でもない。関係性は転倒し続けている。富みに富んで栄華を極めている分だけ、不安も増えれば死に対する恐怖も増える、現実に執着するようになる。しかし現在享けている栄華が、では大したことのないものだよねとなるかといえばそうとばかりには決まらず、それはそれで大変満足の行くものだったりという事実もある。逆も然り、貧すれば貧するほど、死などというものが近くなり、それは光でもあれば、深い暗闇でもある。だから、何はともあれ利益だ名誉だ、金が沢山あればという構え方も、どこかに無理があるという気がするし、貧こそ生活とする頑張り方も、それはそれでまた無理があるというか、もうそういうことはどちらでもいい(極端を主張しなければいけないということは)。どのような立場になってもいいし、ならなくてもいい。一個の身体からは出れないのだし、それは常にひっくり返りの運動の中にありますから、どこに行ってもいいということになると思うのだ。