<212>「あいつはああいう奴さ」

 不安と好奇心とから、この人は何者なのか、という情報を求める、集める。しかし出身や職業などが分かっても、この人が何者であるかは本当には分からない。しかしまた、その人そのものに迫っていける分かりやすい道もない。例えば親しい友達などを見て、一体この人は何者なのだ、情報を集めなきゃ、という不安に駆られることはない。一方で、よく知らない人の場合は、それで何が分かる訳でもないのに、出身や職業などの情報を集めなきゃ集めなきゃと焦り、実際にそれが得られると、一応のところは安心したりする(そうですか、教師でしたか・・・)。

 しかし、結局何者なのか分からない人の肩書が分かっただけで安心しているのは、ものすごく奇妙ではないか。何故それで安心できたのだろう。この人が何者であるかというのを漠然と掴んでいて、その人の身につく地位や職業などがどう変わろうが、その人はその人で揺るぎないと思っている方が自然ではないだろうか。また、そこまで行かないと安心出来ないのではないか。尤も、漠然と掴むためにはそれなりの時間がかかるし、それなりの付き合いも必要だから、とりあえずの間は、何も掴めていない不安を消すために、その人の外側にくっつくものを確かめて、何とか分かったつもりになっておこうとするのかもしれない。