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 評価をしようとすると、一旦自身の流れは止まり、何かをぐいと無理やりに拵え上げるような動きを身体がまた取り始める。この一連は何度経過しても、やはり不自然だと感じる。肯定している(否定じゃない)のに、何かいつも失敗した、余計なことをしたという気持ちになるのは、別段おかしなことではないのかもしれない。親しい雰囲気の中に在るとき、それをわざわざ肯定してみせる必要がない。そのとき嘘を言うのでなくて、心からの本当のことを言うのであっても、既に達成されている空気を止めて、改めてそれについて言及するという行為自体が、独特の嘘臭さ、白々しさを生み出してしまう。

 肯定だとか否定だとかの必要が己のうちに在るのではなく、肯定だとか否定だとかを示してみせる動きを様々なところで目にし、何となく自分も、評価というものをやってみなければ、いや、それをするのが言わば当たり前なんだと思い込んでいるだけなのかもしれない。いずれにしても、対象、状況に対して評価を加えるという動きが、不自然な、無理やりな動きであるという感覚は拭えない。