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 事実として厳しい、あるいは厳しいところもある、これは良いとして、厳しい経験を通過したことにより、知らず知らず自分からも厳しさの方へ余計に傾いていってしまう、寄せていってしまうことがあるが、これはいけないというか、勿体ない。厳しいという感覚を得ていながら、全然厳しくなんかなかったよと周りに言って歩くのもそれはそれで良くないかもしれないが、在るがままの厳しさならばまあなんとか耐えられた、やってみることが出来たであろうものを、あんまり厳しい厳しいと強調して、在るがままの厳しさをより大きく見せてしまったばっかりに、物事が断念されるようなことが起きていたとすればやはりそれは勿体ない。

 また、勿体なさばかりではなし、たしかに人間は身体の中に在り、それによって様々の困難が運命づけられているようなもので、そりゃ弱いであろう、よって厳しさもそれなりにあろう。ただ、その言わば運命的な厳しさだけで萎えてしまうようなことはない。つまり、在るがままの厳しさではなく、必要以上に厳しさへ寄せていく空気の方に萎えてしまうのだ。要らぬ辛さ、厳しさを作っているという感じがする。

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