<240>「相対的なおかしさ」

 絶対的におかしな人はいない。おかしさはいつも相対的である。何かある、ちょっと変なところを見つけると、

「あの人はおかしいんだよ」

とすぐ切り捨てる(親しみを込めての「お前おかしいなあー」ではなく)人がいるが、そういうのを聞くのが嫌で、何故そういうことを言うのかと思って考えていたのだが、それは、おかしさがどこまで行っても相対的だからだ。つまり、絶対的なおかしさがない以上、常に誰か周りの人間をおかしいと認定し続ける必要があるということだ、自分を普通だと思い込むためには。

 別に、相対的なものの揺れで、時々おかしいと言われようが普通だと言われようが、そんなことはどうでもいいだろうが、と私は思うのだが、どうでもよくないからこそ、常に周りをおかしいと言い続けるのだろう、また、言い続けなければいられなくなっているのだろう。普通である、私はおかしくない、という安心を狂ったように追い求めている、絶対的な普通さなどないからこそ余計にその衝動は強烈になる。