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 余韻を長く感じられる身体が形成されていくにつれ、長時間の観賞にも堪えられるようになっていく。これにはやはり時間がかかって、個人差こそあれど、年配の人の方が長時間の観賞に比較的向いているのもこのためであるかと思われる。

 というのも、綺麗さを掴む感覚、

「あっ綺麗だ」

と分かる感覚というのは、自己の経験に照らすと、幼い頃から今まであまり変わらない気がするからなのだ。例えば夕日を見て、

「ああ、綺麗だ・・・」

と感じるところまでは多分あまり年齢に差がない。そこから、その場に長く佇んでいられるかどうかは、身体が余韻を内包している程度に関係してくるのだと思われる。ただ、極端に幼ければ余韻を感じられないかと言えばそんなことはなく、泣いているかと思えば笑い、笑ったかと思えば食べ、食べていたかと思えばいつの間にか寝てしまう赤ん坊でさえ、何かにうっとりとしているような時間を持つことがある。つまり、長時間観賞に向いているような身体というのは、余韻の長さというより、余韻に浸れる頻度の高さを獲得したものなのだと言えるかもしれない。

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