<260>「日が過ぎる」

 批判の急先鋒たる夫人は、不思議な夢を見た。あるいはそれは夢ではなく、誰かが直接語りかけているようでもあったのだが、むろんそれでも夢に違いなかった。何か大変良い印象を抱き、それが誰に向けてなのかは分からず、夢の常で、何を言われたのやら、起きたときにはもう憶えていなかった。

 婦人連は、その日の午後のこと、批判夫人の勢いが大変和らいでいるのを訝しんだ。あんなに文句を言っていたなんてこと、とても信じられやしない、もうやめましょうとまで言った。皮肉なもので、婦人連の抱えている不満はこの変化によって一段と大きくなった。

 遅い起床を楽しんだ老人は、鳴りっぱなしのラジオを止めると、何かを取り戻したような気になった。ともあれ、この老人が婦人連の不興を買ったのにはこういう訳があった。

 仲睦まじく老妻と暮らしていた老人は、1と月程前、この老妻を病気で失った。葬儀には親戚から、婦人連などを含む近所の人たちまでもが集まったが、初めのうちは、ここにひとり残された可哀想な老人に、皆が皆慰めの言葉をかけていた。しかし、老人は泣いていもしなければ、妻を失った悲しみで呆然としていもしなかった。こう言ってよければ、葬儀の間中ずっとつまらなさそうにしていた。周りの人が何と声をかけようと、

「ああ、まあ、そういうこともあるのでしょうねえ・・・」

などと、何の響くところもないように、ただ面倒そうに話をするばかりだったので、婦人連は大いにこの老人に腹を立てることとなった(さすがに葬儀の場ではそんな素振りを慎んだが・・・)。あの人は自分の妻を何とも思っていなかったのじゃないか、心がない人なのじゃないか、いい人だと思っていて損をした・・・。婦人連がこういった結論に辿り着くのに時間はかからなかった。不興を買った老人は、それによって特に困るということもなかったのだが、特に婦人連を中心にして、周りの人が冷たくなったことを感じて、少し寂しいような笑いを口に含ませた。