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 結婚している人が高い評価を受けたり、恋人を作る、という言い方が当たり前に為されることの訳がようやく分かってきた。

 つまり、人間の頭数を揃えることが社会にとっては最重要事項なのであり(貧困や劣悪な環境などがあったとしても、人がいれば国は成り立つが、人がいなければ国もない、当たり前のことだが)、普段どんなことを考えていようが、何をしていようが、結婚した人は、それだけで社会の根本条件を強力に支援する側に回った(準備に入った)ことになるから、社会から熱烈に歓迎されるようになるのは当たり前のことなのだ。結婚しただけでそんなに評価が変わるのはおかしい、という文句は全く当たらない。

 また、己が好み、考えを、社会の要請に沿って曲げられるか、というのも大事なポイントになっていて、これは結婚もそうなのだが(好きなうちは一緒にいて、そうでなくなったらふらーっと自然に離れていく、なんてことを簡単には許さないような縛りをかけているのだから)、特に、恋人を作るという表現にそれはよく現れている。お互いがお互いを好きになったら、自然に近付いたり、またあるいは遠ざかったりするものなのだと私などは思っているのだが、どうも親に言われたことの受け売りなのか、本当に早い時期から社会の要請に馴染んでいたのかは分からないが、随分と小さい頃から、恋人を作るという物言いをして、何の不自然も感じていない人がいる。だって、恋人を作らないのはおかしいではないか、どうして作らないの? ・・・しかし、そう、恋人を作らないのはおかしいのだ、何故なら、そういった関係の取り結び方を勧めている社会にさっさと従わないからだ。恋人を作る、という考え方がそもそもおかしいと思っていたり、ただ好きだという気持ちだけで満足していたり、それではいけないのである。恋人は、作ってみなければならない。気乗りがしなくても、それほど好きになっていなくても、そもそも、その仕組み自体に疑問を感じていても、ひとり対ひとりという取り結び方に疑問を覚えていても、とりあえずそういった関係に入ってみなければいけない。何故なら、恋人を作るという経緯を踏むのは、社会が要請していることだからだ。

 社会の根本条件を承認しなさい(それも口で言うだけでなく、態度で示しなさい)、社会の要請に従って、己が考え、好み、行動を曲げなさい、それをやらない人、つまり結婚もしなければ、恋人を作りもしない人が、不審がられ、嫌がられ、社会から良い評価を受けられないのは当然なのである。社会というのは存続のためにこういったポジションを取らざるを得ないのであり、それに従わないのなら、ちょっとやそっとの低評価、軽蔑は覚悟していかなければいけない。