<272>「身体が全て間違いになるまで生きる」

 時の経つにつれ、間違いの数は少なくなっていくのかもしれないが、既に犯した間違いは、自分の中で段々に濃くなっていく。間違いの数が今になって少なくなってきたことなどまるで関係のないほどに。

 何かに向かって人間が完成していくとするならば、それは間違いそのものに向かってなのだと言えるのではないか。新たな間違いなど全く犯さなくなったその日に間違いそのものとして完成するのだ、皮肉なことに。間違いそのものになることなど誰が望もう。自分は間違った、しかしそれを反省している自分もいる、という方法で慰めることが出来ず、そのものになってしまうことなど・・・。

 完成は拒絶される。しかし、疑いなく間違いは濃くなっていっている。私が反省しているように振る舞おうと、開き直ったかのように振る舞おうと、問答無用で濃さを増している。生まれたての部分が、徐々に見られなくなっていく。かつて間違いでなかったのだという証拠すら失った。後はひたすら、努力もなしに完成していく様を、寄り添いながら見ているしかない。完成を放棄する? そんな勇気があったら、こんなところでこうしてダラダラとはしていないはずだ。