<275>「なにかあるところへまた」

 思うに、関係があるという気分に入るのは、過剰に集中した結果として、ぼーっとするためなのだろう。その過剰な集中が解けて、ハッと我に返ると、まるで対象と自分とは関係がなかったような気持ちになる。ここで肝要なのは、ハッと我に返ったときの状態が正しい状態かどうかは分からないということだ。つまり、ボーっとしていて繋がりを感じているときの意識状態が、惑いであるかどうかも分からないということである。我に返る、過集中の状態に入る、というふたつの状況がただあるというだけだ。だから、本当に関係があるのかどうなのかというのは微妙な問題だとして、関係があると「思う」ことにはそれなりの自然さがあるのかもしれない・・・。