<296>「懸隔」

 現実で起こる痛さと(例えば歯の痛みとか)、内側の世界との奇妙な遠さというものを思わずにはいられない。それは遠くから届いた電話のようなもので、もちろんお互いに交流はあり何かが伝わり、影響も諸に受けるのだが、同じ場所ではない。近くですらないのだ。同じ場所でないのは当たり前かもしれないが、近くでないということが奇妙さに一役も二役も買っている。

 内側の世界で勝手に拡がっていく考えは、現実の痛さというものを無視して成り立っている、軽く見ている、もしも痛みの急襲を受けたならば、内側だけで伸び上がった幻想の塔など、ボロボロになって脆くも崩れ去ってしまうだろう、と。随分影響を受けている人などがそういうことを言っていて、なるほどそうなのだろうなと別に疑うことも今までになかったのだが、実際に私の中で起きること、その関係を見ていると、どうもそうとばかりは言えないような気がしてきている。痛さには大いに影響を受けるのだが、影響を受けるということ、それ以上でもなければそれ以下でもないといった感じだ。勝手放題に拡がっていったものはそんなことでは崩れない。