<298>「差」

 紙一重であることを感じる度、やはり、うろたえる。うろたえることを強制されていると言ってもいいぐらいに、その態度は必然のものだ。どうして転落したものの側に立ったり、転落したものを批難する側に立てたりするだろうか。自分の足元も同じようであることを悟り、オロオロするだけだ。そんなものは態度とすら呼べないのかもしれない。

 仲間の転落を味わった者が、擁護するのも変だと分かりながらも、そのあまりの批難の嵐に疑問を覚え、しかし取り立てて言うこともない為に、いきおい擁護の言葉を吐いてしまうのには、紙一重だったという感覚が、そして私もあなたも紙一重だという感覚があるのではないか。また、転落した当人の、開き直るのは絶対に違うと分かっていながら、それでもここまで言われることに何がしかの違和感を覚え(大半は何も関係のない人なのだから)、しかし取り立てて言えることもなく、いきおい吐いた言葉が開き直り以外の何ものでもなくなってしまうことの背景には、紙一重だったのだという感覚が、踏み外したことには随分といろいろな偶然が重なっていたのだ、という感覚があって、それはなかなか拭いがたいことであり、またそれは一面の真実であったのではないか。