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 中学の時だったか、授業の一環で、金閣寺修復プロジェクトのようなもののドキュメンタリー映像を観た。尤も、焼かれたものを全て一から建て直すときの映像ではなく、汚れてダメになってきた金箔などを剥がし、漆を塗り直した後で(確か漆だったと思う・・・)、また新たな金箔を張りつけていく、というような映像だったと記憶している。

 そしてその、古くなった金箔を剥がした後、漆を塗り直す作業も終わり、また新たな金箔を張りつけようとする段になったとき、

「ああ、余計なことを・・・」

と、何故か思ったのだった。するな、と思ったのか、したな・・・と思ったのかは定かではないが、とにかく余計なことだという意識がよぎり、それは漆に塗られた金閣の姿がとても美しく、完成形のそれとしか思われなかったため、職人の漆塗り作業のひとつひとつが美しかったため、漆そのものの輝きに魅せられたため、といろいろあってそれが重なって押し寄せてきたのだろうが、金閣の表面に金箔などを置いてくれるなと思ったのだった。

 しかし、全ての工程を終えて、完成された黄金色の金閣寺を見たとき、何の違和感もガッカリさも覚えなかった。さっき余計なことと思っていたのを忘れた訳ではなかったが、当然金閣はこうあるべきで、漆塗りが終わっただけで良しとされ、黒光りした状態のままで屹立している姿は想像だに出来ないのだった。

 つややかな黒い塊を背にし、修復の責任者が、

「金箔は張られていませんが、私はこれで完成だと思っています」

と言ったとして、それを私は誰の言葉として聞くだろうか? 私自身の言葉と一致しているという感覚は、なんとなくもぞもぞしたものになるだろうという気がするが、そういう状態の金閣に相対したことがないので何とも言えない。