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 その人の言い分はこうだ。

「何の備えもせず、それでいてそんなに平気そうにしているのはおかしい、どういうつもりなんだ、って? どういうつもりなのだろう。私だって、怖ろしくない訳はない。怖ろしくて仕方なくて、事が起きたら他の誰よりも一番あたふたするだろうし、もうこれ以上はないという程の全速力で逃げていくに違いないのだ。ただ一方、内心で普段から何を思っているのかと言えば、自分に対し、

『お前なんか、そういう機会が訪れたら、そのときにめちゃめちゃになってしまえばいいのだ』

というようなことを思っている。しっかりとした備えをし、何とか災厄の後の被害状況をマシにしたい、などとは考えず、たとい生き残ったにせよ、お前は準備も何もしていない状態であったがために一番困ることになれ、一番困ればそれでいい、と思っているのだ。どうしてかそんなことを思う、どうしてそんなことを思ってしまうのか分からないから自分でもひどく驚いている。そうしてあんまり何度も何度も驚いてしまったがために、驚きの表情とでも呼ぶべきものをだんだんになくしていってしまって、そしてついに、外側から見れば、それは何の動揺もなく落ち着いているような顔と同じに見えるようにまでなってしまっていたのだ。どうして何の準備もせずに落ち着いていて平気そうにしているんだ、という疑問に対する回答はこれだ。

 不思議なことに、事が起きれば情けなくヒャーヒャー騒いで逃げ惑うはずの私は、自身の内心に対して驚きつつも、そこに不一致というか、矛盾は感じていないのだ。飛行機が上空を通り抜ける、その際の音は凄まじいと知っている、知ってはいるが、やはり現実にその音を聞けば、たとい構えていたとしても驚いてしまう、というようなことで、驚いてはいるが、逃げ惑う私は、内心のひどい投げやり、暴力的な放棄を、完全に受け容れているのだ、承知しているのだ。完全に受け容れていることでもやはり驚くのだ。それこそ、表情がなくなる程にまで何度でも、何度でも驚く。一番平気そうにしている人間に一番何の準備もないとは・・・。これはおかしなことだろう、おかしなことだろうか? そんなことが私に分かった試しがない・・・」

と。