<330>「内外の言葉」

 ああ、鈍さの接近。鈍くなるのに時を要しなかった。簡単だった。してやったりな訳でもないのだが、外側の言語に、異国の言葉ではないのだが外側の言語に囲まれ、流れ方もそのようだ。

 私は話すことを失ったのだろうか(失ったのだろう)。そう、外側の言語で話すことは失ったのだ。薄い壁(いや、膜でもいいのだが)を隔てて、一見近く見えるがひたすらに遠いものとして言葉が現れたことがあったのか。さあ、記憶している限りでは確か今までにはなかったのだが、決して馬鹿をしない内側にいることは挑発的であるか、そうでなければ何でもないことだったのだ。簡単なのだ。難しさがあるとすれば、簡単だということに飽き飽きしてそこから出たくなってしまう、つまり退屈の為から愚かさに身を投じてしまいたくなることがあるが、そこぐらいだろう。実際破滅的な愚かさみたいなものに無縁で、ということはのぼせにくい訳だが、それが一体何だというのだろうか。のぼせて愚かな失敗をしてしまう人たちより私が何らかの点でマシだとでも言うのか、どうもそうは思えない。そんなに熱を上げなければいいのにという不毛な、つまり何の足しにもならないメッセージが伝わったところで、私とその相手との関係の中で何かが開くとでもいうのだろうか。互いに異質人として眺める、そこを行き来する可能性が無い訳ではないが、どこを通っているのだろうかしらこの道は、解決というようなものを求めていない。