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 真剣になるのは、なにも真面目くさっているからとは限らない。真剣にさせずにはおかない対象があり、真剣にならずにはいられない空気があり、そこに入るタイミングがありと、別に楽しい訳でもなく(本当か?)、苦しい訳でもなく(本当か?)、そこだけに視線が集まり、やけに身体がひと固まりのものとして機能し出すかのようであって、真剣になっているというよりは真剣にさせられる、真剣の方で捕らえていて、私は捕らわれるがままだという方が正確な気がする。

 よって、真剣は強いることが不可能なのではないかと思うのだが、

「真剣になれ」

「真剣にやってみろ」

と言われても、真剣の方で捕らえるつもりがなければどうしようもないのでは・・・。真剣はどうも、なってしまう類のものだという気がしてならない。いつの間にのめり込む、休憩時間のサッカーと野球の放送と魅力的な文字列といやらしい身体となかなか汚れの落ちない古い靴・・・。