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 尊重と無関心は紙一重であるというか、ひとつの器の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていて見分けがつきにくい、あるいは既に何か混ざり合った末のひとつのものとして存在しているような気さえしている。

 他人を尊重していると言って、自身の無関心をなんとなくごまかしてしまうことも出来るし、関心がない関心がないと頻りに言っていたものが実は尊重であったりもする。先述したように、尊重するということは無関心であるということをいくらか含むのではないだろうか(そのものか?)。いや、そうではなくて、関心がありながらも、変に出しゃばらないで退くのが尊重するということなのか。しかしそれが、他人に見分けがつかないだけならまだしも、自分自身ですら、その内部で起きているのは、関心をぐっと抑えたが為の尊重なのか、そうではなくて、無関心故、結果的に尊重したようになっているのかの見分けがつけにくい。

 他人が、こうこうこういうようにしようと決めたんだ、と言ってくる。あるいは決めたいと思っていると言ってくる。私はそこで、他人の大事な決断、最後の最後の決断に介入する権利、出しゃばる権利は持ち合わせていないと思うから、あなたの納得がいく形で決めたらいい、と言う。他人が何かを決める、決めようとしているときにはいつもそういう態度で応じるのだが、言った後で、あれは尊重だったのか無関心だったのか、同じことなのか違うことなのかとぐるぐる考えている。