<348>「何追うでもなく」

 旦那は幻影を追っているのだと、あまりにも安易に言われた。言われすぎた。しかし悔しくて、むなしかった、悔しさを捨て切れずにいたのは確かにせよ、幻をいつまでもいつまでも狂ったように追っているのではなかったと私は思う。その道行き、届かないものを追うことで、足が前に前に進んでいたのではなく、ただ納得のいかなさ、割り切れなさだけがその足を前に運ばせた。失われたものの姿、その幻はもはや必要ではなかった。そんなものを追っても仕方がないことなど、誰にも増して旦那が一番よく承知していた。また、そうやって割り切るために、

「追ったってしょうがないよ・・・」

と自分に言い聞かせることすら必要なかった。ただ納得がいかないという、そのことがあれば充分だったのだから。

 幻影を追っているように考えた人は、旦那の見開いた目が果たしていずれをも向いていなかったことを掴み損ねたか、あるいはまさにその事実によってそういった判断を下すかしたのかもしれない。しかし追うべき対象、目指すべき目標などまるで必要としない視線、歩みであったことが私にはよく伝わってくる。私に伝わってきたっていいのだろう。