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 模倣が、無意識の模倣が、そうして口をついて出る。

「知ったような口を利いてらあ!」

ドワッハッハ! その大きな笑い声たちにびっくりしながら、奇妙に別の空間に落ち込んだような気持ちで、違う、という言葉ひとつを全身の感慨に寄り添わせる。それは、抗議の気持ちではなかった。

 知ったような口を利いているのはそうだ、その通りだ。だが、全体が、大きく笑ったのは変だ。どうもそう思った。知ったような口を利くことが、つまりは喋るということではないのか。知ったような口の利き方の延長に、あの、大きな笑いもあるのではないか。そうだ、その通りだと思わずして笑っているのなら、大事なことを忘れているか、その、かつてあった大事なことを、未だ大事なことだと気がつけていない阿呆かなのだが、自虐的に、あるいはその初めの頃のたどたどしさを目撃して懐かしくて笑っているのであれば、まあ分からなくもない。そういう笑いは、どういう笑いだ。種類は別に何でもよいのだった。

 知ったようであることに馴染んでから、随分と時間が経ってしまった。時間が経ってくると、それが違和感を覚えさせるものであるという事実に変わりはないのに、周りの慣れのためか、何がしかの「当たり前」の一部にされてしまって、もう誰にも笑われなくなってしまっている。知ったような口を利いていること自体を忘れ出す。そういうとき、無邪気な模倣の喋り口を前にして、うっかり大きな声で笑ってしまう、それはきっと思い出し笑いなのであって、またそれは、ひとつの嬉しさ、気持ちよさでもあったはずなのだ。