<403>「景色がひとりで渡る」

 整列した沈黙に、何かを感じていられるのであったら、そこは黙って、こちらも渡らなければならない。真面目な顔などというものは生みだすな。ただ、それは歩みに付随して、いかなるメッセージも発さないことに注力する。見分けのつかない、その道に臨む態度としては、真面目も不真面目も当たらない。ただ、情け深さ、慎ましく、しかし決してこの道を他に逸らさず、ひたすら繰り返されることを決意した表情でいたい。それは、私だけの望みではないはずだ。

 連れ添うものを、求めたいとも求めないとも決めず、景色がひとりで歩み出すことを、受け容れやすいものと捉えている。ひっそりと隠れているものは、削ぎ落とされた結果としてあるのか、無限に膨らんだ結果としてあるのか。いずれにしろ、道の途中であるという事実と、道の途中だから云々という言い訳とでは、決して折り合いはしない。

 ぼやっとしているうち、飛躍して、今までのことは、実感として分からなくなっている。それをどう伝えたらいいのか。あの人は何も伝えやしないじゃないか、いや、伝える方途を、突然失ったと何故考えてみない? 眠っていた訳ではない、何も気にしなければ良かった訳でもないただ、動きは何か突然のものを抱えていると理解しておくことだけは大事だったのかもしれない。