<416>「逡巡、淀み」

 完璧に良くはあれないと認識するところまではいいのだ。だが、個人的な話にしても、周りを見渡したときの話にしても、そこから、逆に開き直っていることが多すぎるのだ。良くはあれないのならもう開き直ってしまおうというのは、その中身こそ違えど、ポジションの取り方が同じなので(つまりは両極、極端に振れているだけ)、結果的に、認識したことによって離れられたはずのところにまた戻ってきてしまっている。

 また、開き直ることこそがバランスを取ることなのだと考えてしまっているのじゃないか。完璧に良くあれると信じている人たちがもたらす悪影響に対して、カウンターパンチとしての開き直りを用意する、それによってバランスが取れるのだ、と。しかし前述したように、それでは極端な立場が徒に増えただけなので、バランスは取れるどころか、それによってまた崩れていってしまう(「完璧に良くあれる」対「開き直り」は、故に泥沼の様相を呈す)。

 完璧に良くあれたということでパッと胸を張ることも出来なければ、こんなに悪いのかと反省するほど、またはそこからひっくり返って自慢するほどの悪さにはならないところで、きっと踏ん張ることこそが、バランスを取ることだと思っているし、いつでも両極端に振れる可能性があるところで、それは決して容易なことではないとも思っている。自分の中の、偽善もだが偽悪もキッパリと斥けていきたい。