<462>「悪の手触り」

 悪の最大の魅力は、それが本当らしく感じられる点にあるのではないか。悪に触れている(あるいはどっぷり浸かっている)のと、全くそういうところとは関係なくのほほんと暮らしているのとでは、前者の方が、より本当に近い、より真相に近い、と何故か考えさせられてしまっていて、そしてまた、そう考えさせるだけの何かしらの魅力が、悪にはあるのではないだろうか。

 実際は、のほほんと行われる生の領域も、悪にまみれた領域も、同じように本当であり、真実なのであって、どちらかが「より本当」であったり、一方が本当のものを欠いていたりすることはない、のだが、悪の領域に属する人はそれでも、のほほんと暮らしている人を見て、

「本当のことも知らないで・・・」

と、つい思ってしまう気持ちを抑えることが出来ないのではないだろうか。また、あまりにも自然にそういった感想が浮かんでしまうことについては・・・?

 どこへ行っても本当でないような気持ちがするのと、悪とはとても密接なのではないか。いや、それが根源なのか・・・? 重大な秘密とか、触れてはいけないとされているものに触れることで、「本当」の実感を得ている。しかし、のほほんとした世界が、決して嘘でも不完全でもないことを常に意識させられる・・・。