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 必要でしたら、比較されたらいかが? しかし、それによっていくつかのこと、いや、かなりのことが分からなくなったのも確かだと思われます。自由に私が、私以外のものに移ったり、それでまたすぐ戻ったり出来るのであれば、比較もいくらかの意味を持ったのかもしれませんが、結局どれだけ飛び回ろうが、この場からは動けないのですから、それによって何が分かるようになる訳でもないのだと思います。

 例えば、

「あの人々はもっと苦しいのだから、私の苦しさなんて大したことがないんだ」

などと言ってみて、何かを納得したような気になると。しかし、他人がもっともっと苦しいからといって、そのことで私の苦しみが軽くなるかと言えば、全然そんなことはない訳です。それは絶対的なものだからなので、他人のそれは想像出来るだけで、この身体で実際に体験することは出来ないからなのです。また、

「あの人はあれだけのことをやっているのに、私はまだ・・・」

「あの人はまだこれだけのことしか出来ていない、それに比べて私は・・・」

などの話は、どちらも誤魔化しでしかないということです。他人との比較によって、何かを意図的に見えなくさせよう、見ないでいようとしているだけなのであって、本当は、自分以外の他人の活動がどうであるかなどはまるで関係がないはずなのです。比較によって何か有益な情報を得られるような気がするのかもしれません。しかし、それはどこまで行ってもやはり別のものなので、そこまでの意味はないということを押さえておかなければなりません。