<516>「夢が青い日」

 青い景色を見、いつまでもいつまでも転落していく。これは、慎重な投げかけではないか。いつになく浮き上がりまたそれを気持ちよくは感じられず、この感情の盛り上がりを利用してひそひそとささやき続ける、その長いこと長いこと。待ちきれなくなった表情はあちこちをウロウロし、余計に呼吸を必要とするところまで来た。

 これが、全く関係のない空間。それは、しかし誰に用意されたのだ? 話をもらったのは? ともかくも、ここには来たのだ。どこを通ってかなどと考えてはいけない。着いてしまったということだけをひたすらに思えばいい。そんな動作には馴染みがないのだが、見よう見真似でからかい続けると、疲労が僅かばかりの爽快さを獲得し、あーだこーだ無責任に出鱈目に辺りで喋り散らしている。

 退散してきた先で、情けないほど頭を垂れる。夢は、己が平行さを見せつけると約束し、一層曖昧なものになってゆく。現実の隙間に、極端な薄さで断続的に挟まり続けるそれを、果たして「見ている」と言い表していいものかどうか。私には、納得出来る通路を持たないことにより自在さを獲得したものの、無邪気な戯れに見えた。重要なことを暗示している? 冗談じゃない。そう言って笑う人々の群れにいくらか見知った顔も混じっていて、まるで俺とは違うものに見える人間が、俺として扱われているのを目撃すると、途端にその現実性のなかへと惹き込まれていくのだった。これは明確な不思議だった。もっとも、そんなことは気づく気づかないの問題を完璧に無視していたのだが、グッタリするのはこのためではないかと考えていたりする。それにしても、ここで目覚めなければならない。