<535>「一量の電車の怪、体力」

 お前が、また、そんなことを訊ねるもんだから、到底そんな言葉からは想像もつかない曖昧な景色、ドギツイこと、一両の電車を見る。何故、体力が、減っていけばいくほど嬉しいのだろう。肩を上下させ、この瞬間はただ、望まれたままのものだと知る。しかし、億劫なのはただ、動き始めることだけなのだ。内容には何も関係がない。動き始めるということの怪。私はそうだ、どこかで止まっているらしい。もっとも、止まっているとは露ほども思わなかったのだが。駅は大体ここいら辺に据えつけてある。何両かに増えていますよ、と言ったところで、ひとつひとつの個人ではないのだろうか。要するに、一両の動きということだけに注目する。そこ以外には視線を持っていかない。もっとも、持っていく必要がないのかもしれなかったが。あれま、億劫そうにゴト、ゴトと揺らしながら進んでいったが、積み込んであればあるだけの億劫さ、軽ければ軽いだけの進みよさ、仰ぎ、うつむき、なんの結果としての上気だろう? 機会があれば、私にはまたものを捨て去るだけの動きがある。あれま、回転と、溶け出しと、親しさがこの場に現れて、頭などから順々に見る。