<538>「次の足」

 この足を直接に使うのでなければ、どこまでも遠くへ行けるのかもしれない。そういった願いは、この場合以外であれば有効で、現に大体のものがそのように動いているのだから、ただそこに腰かけているだけでもいいのかもしれない。

 ただこの場合は、この場合だけは、この足で、ひとつずつのものをミシミシと踏んでいくよりほかに仕方がないのだ。いきなり遠くに現れるという妄想から下り、心地良い夢の映像に打たれて棒になった足に活を入れ、また左右に僅かずつ揺れるだけの営みに還ってゆく。しかしこのことは、物事を随分遠くまで運ぶ役割を担うらしい。しかしこの揺れと、移動の蓄積などは、まるで関係がないように見える。別に、関係がなくてもいいのだろう。左右に揺れること自身にとって、そこからの結果は何であってもよいのだ。また、左右に揺れることなど本当に何でもない、はい右足どうぞ。