<565>「歩行者の印象Ⅱ」

 自分というものをおっ放り出して、他人の動きに一喜一憂する、そういう者は自分の人生に責任を持っていないのだ、と。確かに、極端に入れ込んでいる場合はそうかもしれない。ただ、観客という役割が、人間から外れてしまうことはない。それはずっとついて回る。自分は自分のことをやりなさい、しかしその動きは、本来自分に関係のなかったものについて興味を持つところから始まる、惹きつけられてゆくところから始まる。つまり、自分の世界にだけ没入してゆくにしても、そこには観客的要素が多分に含まれているのだ。何故こちらを贔屓にしているかは分からない。何故この無関係なはずのものに熱中するのか、興味を持ってしまうのかは分からない。ただ、分からないままに没入してしまう、惹かれてしまうという能力が、要素が、厳としてあなたのなかに存在するだけなのだ。観客とは何か。

 「へえ、まあ、そうですねえ・・・」

長嶋さんは、勝負に拘っていないのか。そうではないのだが、おそらくそれではないということ。執念や、意地、悔しさといったものとは一見無関係に見える。尤も、全くもって無関係なのかもしれない。

 長嶋さんは強かった。いや、今でも強い。たとい負けたり、追い込まれたりが続くような状況があっても、ここで何とか踏ん張る、という素振りもないままにまた淡々と勝ち始めるぐらいには強かった。当然、その強さは周りを熱狂させたが、応援されても、歓迎されても、ただただ戸惑うような顔をしているだけだったので、注意して見つめていた人たちですら、徐々に長嶋さんを見失っていくことになった。長嶋さんは自分の観客なのか。外の観客を意識しない訳ではない。ただ、

「周りで応援する人がいてこそ」

という類の話はあまり好きではなかった。