<588>「僅かに」

 そこここが、謎めいて見えるというがそれは君が承知したからではないのか。徐々に覆いとその量と、懸命な交代とが丁寧に笑みを作っていくぞ、いいか。悪いかそうでないかと問題を充分に広げて見てあたま。こんがらがればそれだけ普通の一連をちょくちょく驚くことになる。承知されていた。何故私に話しかけられることどもがここまで承知されていたのかは分からなかったが、とにかく案内はここだ。奮闘もここだ。休憩は、ここなのか・・・?

 大人しく見よと言われてそのまま大人しく見るぐらいになって、事実このまま想定して間違うのにもかかわらず飽きていた。何に。想定した内容にではなく、想定する頭があるということに飽きてしまうのだ。つまりどの道を通る。とりあえず行ってみてしまうという道を。何にも運ばないと思っていたものこそが想定外の力を発揮するならばきっと。順番に見せるものが偶然ではあり得ないだけに、ひとりまた確証のないところへ熱を込めている。なかなかどうしてこれはただの人だというのが分かるとき、言葉が順調に流れて分からなくなる。一旦眠ってしまう方が良さそうだ。ひとりで? そうひとりで。微妙に違うから微妙に違い続けるからちょこちょこと細かくまた調整し続けていなければならないがその動きを取り上げられればそれはそれで微調整には微調整の言い分が、あったということなのだろう。これは筋肉の必要でもある。誰の必要かと言われればそれは分からないが何度か動いているうち次第々々におんなじであることをやめてしまうのかどうか。一度たりとも変わったことがないと思いつつ、

「いやいやすみません、さっきと同じようにはもう出来ないですよ」

と当たり前に言っていたりする。しかしそれでなければ楽しくないのだ。皆それを分かっているからやはりまたここへ集まるのだ。集まるだけの調整が必要だ誰に頼まれたのでもない調整が。ひたすら馬鹿げたことを言うだけのごく尋常な考えにあなたもあなたもあなたもが協力している。特にこの点だけは何度も確認されて構わない。