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 頷けなくて、また、どうなるのだろう。小さな報せを感じ取ると、またたく間に疲れてしまって、とっておきの、その驚かせ方が、内証を内証らしく受け流す間、瞳は、いずれも、かたまった期待を抱かせるに充分なだけの光を取り込んでいる。はからいはいつも過激だ。いくらも関係があって、いくどもこれは、見たことのないものだという。

「真新しさがどこかにある、とすれば、私は歳を取り続けているのだろう」

ためらいは、わずかな溜め息とともに出で、なかなか苦笑いの、その向こうへ、わざわざ帰ろうとはしない。ところで、歩行とも、片道とも言わぬ、日々の眺める隠れさす。あらかじめ、戻しておいた大はしゃぎ、に乗っかるとうなじやら大あくび、お辞儀など丁寧にこぼれ出してありそうもない連絡通路のなかで華々しい表情だから私に見せる。

「これなんだよ」