<710>「出来事と言葉」

 例えば、退屈していたから、と説明されれば、ああそうか退屈していたからなのかと思い、なんとなくそうしてみたかったから、と説明されれば、ああなんとなくそうしてみたかったからなのか、と思う、なんて、そんな形でそのまま納得出来るだろうか。大きな出来事、衝撃的な出来事が片方にあり、もう片方にはなんらかの理由説明がある。それがそのまま素直に双方結びつく、とは思えない。出来事は言葉ではない。出来事は言葉の形容を拒否こそしないにせよ、容れないのではないか、また、容れられないのではないか。退屈だったから、とか、イライラして、だとかの説明がなされても何も分かったことにならない。出来事の訳の分からなさ、起こってしまったことの不思議さに、何ものも加えられない。おそらくその当事者も、同程度に分かっていないはずで、説明しろと言われても一向に適切な言葉が見つからない、もっともらしく説明してみたところでそれは出来事と何ら関係のある言葉にならないことを感じているだろう。

 当事者に言葉はないが、とにかく無理やりにも説明してみせる。聞く方も、それら説明で何が分かるようになる訳でもない。そうすると一体これらは何のためにひねり出されているのだろうか・・・。