<802>「雨の日はあそこは雨」

 まつりのきぬ、ころもを脱いで、ずぶ濡れの全身。とどまり、彼方での固まり、に、私の言葉が通る。私は意味と濡れている。細々と降る雨、それと、屈伸。問題はここで固まりを眺めること。なにげなく着る服。私は服とともに増えている。よれよれの下着。ふざけているから着ている。よれよれの下着は増えている。まさにここは特別に、まつりと呼ぶに相応しい。言葉がカラカラという音を立てる。まつりはゆっくり濡れている。

 べとべとの窓に、なにげない唇。張りついていて、剥がれると震える。

  あそこは雨なのか。

 歓談のなかにある眩しさ。優しさに代わられた、普段の激しさは、べとべとに濡れた服を着ている。服の向こうにまつり、の全身が見える。全身は固まり、眺めを次々に笑ってゆく。笑っている裸のグラデーション。お隣りからのまつりの空気をひとつひとつ断っている。裸は濡れている。まつりはグラデーション。

 細かな糸。それとストレス。ストレスはまつろわぬ。口の中はあたたかく濡れている。口の中で細い糸。細い糸は音の拡がりに触れている。口の中はグラデーション。グラデーションは細い糸。細い糸はまつり。まつりのあとの小さな雨。雨の音をきいている。きいていると口の中に糸が出る。糸が雨を探していて・・・。

  あそこは雨なのか・・・(アソコは・・・)。

 奇妙な色の服、それはまつり。きぬを脱いで。ころもを脱いで。全身は雨の中でグラデーション。固まりのなかでよれていく。まつりは下着。下着のなかにあるまつり。まつりは濡れている。グラデーションとあそこ。あそこは固まりで一杯だから奇妙だ。奇妙さは糸。糸の小ささ。さざ波は言葉の味方。味方は糸の中で拡がっている。糸は私のなかで意味を持つ。意味はきぬを脱ぐ。脱いだらまつり。脱いだら濡れている。全身が濡れている。まつりのなかで言葉をしめす。べとついた服、そのなかにある意識。雨の意識(縫いだら濡れている)。雨の日はあそこ。