<866>「誰かが始まりと言い出したとき」

 線はおそらく、冷たい言い訳を呑み込んだ。そこで香り(部分的萌芽)が、時間の威力をそらしてゆく。

 線は、分けられないものの名前になっていた。微笑みのなかに動揺が、いや、動揺のなかには微笑みが含まれている。

 行方は示されず、ただその場へ置かれ、むやみによそを目指さなくなったあと、気の遠くなる沈黙のあとで、かたちによる在り方(かた)の雄弁さは、静かに開(ひら)いてゆく。

 私はここで、誰を待ってもいない。その気の遠くなる長さを、しかしいつまでも語りの運動としてあることを選んで。

 現在が、私をひとつの時間としてえらぶとき、視線の、無目的性の意味を知る。

 稀有な嘘に彩られたことだ。日時は少し照れている。あの微笑みを、時間の外と知る限り、問いかけには終わりがない・・・。

 例えば真暗ではなく、踏み足は疑問形でもない。招待ですらないということ、そこに、音(おと)があり、どうしてもなぞらずにはいないということ。

 誰かが始まり、と言い出したとき、どこか遠くに飛び去っていた。

 誰かが始まり、と言い出したとき、余った手で語りを開(ひら)いていた。

 もしもその内部に、私がいないのなら、私は何ものも待たず、ただ、香りとの一致を、始まっているものとの一致を楽しむだけである。

 あるいはその瞬間に、裏側と、行方の笑みと、線の確かさを考える。ただ驚くほかない、その立ち居振舞いに・・・。

 一歩一歩がその小さな感慨を全て微笑みのあいだに仕舞うとき、昨晩の景色はどこへ音を出したらよいか戸惑う・・・。