<2963>「遊びの世界には命が懸かっている」

 からだが生まれてくるころに、、

 あなたは夢を見た、

 人間が、

 人間と一致する、

 長い時間、

 私は、

 愛されること、

 匂いがあること、

 汚い部分があること、

 それらを、

 見事に拒否し、、

 透明を志向してきた、

 それには、

 現実の場所とは違う、

 ひとつの部屋が、必要だった、、

 

 ただ、

 私は匂いを拒否しない、

 もう、

 汚さを拒否しない、

 もう、

 愛されることも拒否しない、、

 ほどほどのところへ整え、

 着地させ、

 あとは、

 真剣に生きていく、

 真剣に遊んでいく、、

 有限な人間は、

 ふざけている場合ではないのです、

 本当でない場合ではないのです、

 真剣でない場合ではないのです、

 命を懸けて、遊んでください、、

 

 遊びの世界が、

 こんなに静かで、

 こんなにこわくて、

 こんなに充実した世界であること、

 私は日に日に知ります、、

 現実は、

 私は平穏ですよ、

 何にも起こしませんよ、みたいな、

 フリをしている、

 それでいて、

 予想を超える、

 全てのことが起こる、

 私に出来ること、

 それに対して、

 苛立つことではないね、、

 ひとつひとつの外界のこと、

 私の内自の軸、

 このふたつのあいだを行き来し、

 真剣でいること、

 これしかないよね、、

 あたしはコーチをしている大人達の方が、

 なんであんなに野球が楽しそうだったか、

 今分かったよ、、

 遊びの世界には命が懸かっている・・・

<2962>「身体は忘れない、待っている」

 あたしにはまだ過去、

 水もなく、

 からだもなく、、

 ひとつの印象として、

 この場に浮いていたことがあり、、

 まだ生まれる声もなく、

 はじまる耳もなく、、

 ただひとつのテーマ、

 ただひとつの道への眼差しだけが、

 ここに残されているの、、

 

 あなたが現実に、

 見事にあなたの内時を混ぜて、、

 融合していく、、

 あなたは、

 現実との接触が分からず、

 いろいろな芸を身につけていった、、

 それは、

 何もそれで金を取ろうとか、

 世界的に有名になろうとかいうことに、

 つながっていた訳ではない、

 ただ不安だったのだ、、

 ここへ、

 しかし持ち来ったものは、

 実は底の方で、

 しずかに、

 おどさず、

 焦らず、

 私に使われるのを待っている、、

 野球をまたはじめて思ったが、

 一度身体に染みつくと、

 私が野球を捨てても、

 野球は私を捨てない、

 身体は野球を捨てない、、

 そんなところがある、

 

 先人が、

 長年かけて辿り着いたもの、

 苦しみのはてに辿り着いたものを、

 一瞬で掴めるように、

 渡してもらっている立場であるから、、

 その分しっかりと先を歩き、、

 そしてまた、

 その場所で掴んだものを、

 後から来た人が、

 ずっとずっと先へ行けるようにと考えて、

 渡すこと、、

 人間の仕事は、

 繰り返したり、

 後戻りしたりしている訳ではないと思う、

 先に進んでいる、、

 いやなことを繰り返すのは、、

 それがどうしても避けて通れないものであるからで、

 それでも内実は、

 少しずつ変わっているのだと思う、、

 先へ進む、

 それがどういうことか分からなくても、

 戻るという選択は取れないのだ・・・

<2961>「作業する人、数が少ないもの」

 私の死んだおばあちゃんが、

 朝、

 まだ4時とか5時なのじゃないか、

 起きて家中を掃除してまわっていたり、

 ベッドに来て、

 寝る前だったかな、

 起きたあとだったかな、

 上体起こしの腹筋をしていたことなどをさ、

 たまに思い出したりするよ、

 それでいていつもやわらかい笑顔だったな、

 簡単なことではない、

 簡単なことではないよ、

 とても人間として出来た人だったのだということに、

 気がつくのには時間がかかります、、

 

 前に、

 片桐はいりさんの本の中で、

 はいりさんのお母さんの話を読んだ気がする、

 年老いていて、

 はいりさんは休んでほしいけど、

 お母さんはじっと座って休んでいるのが嫌な人だったと、

 いつも何かしらの作業をしていたと、

 そういう人の気持ちがよくわかる、

 端で見てて休んでほしいと思う人の、

 気持ちもよく分かるけどね、、

 動いてなきゃいられないというのと、

 動くことが元気さにつながるのと、

 動いていないと不安なのと、

 いろいろが混ざりあって、ね、、

 

 熱量があると、

 どうまとまって良いものか、

 分からないものなのだろう、、

 身体は、

 だからよく方向性を持ってくれたな、と思う、、

 これだけの時間をかけて、

 ゆっくりと、

 あたしの身体と心とは、

 バランスをとっていく、、

 

 あなたはどこへ行く、、

 まったく知らない場所、

 行ったことのある場所へ、

 あなたは歩を重ねていく、、

 あなたは、

 縁や義理を大事にするのね、

 なるほど、

 私はそうなのかもしれない、、

 人間は思っている以上に受身だ、、

 だから、

 働き掛けていくことは、

 ただ単にこの地上に、

 数が少ないことなのかもしれない、、

 私は数が少ないもののことが気になる、、

 働き掛けてみたら、

 ほかではない、

 私が違ってくる・・・

<2960>「言い訳的な在り方の点検」

 来ないと思っていた日は来る、、

 来れないと思っていた場所にも来れる、、

 これは何だろう、

 私の、なかば確信に近い、

 来ないという思い込みは、、

 おそらくそれは現実感がないだけ、、

 ひとつのことに集中すると、

 そこは空白の場所になる、

 時間がなくなり、

 全てが止まっているような感じ、

 だから、

 段々進んでそこに来る、

 などということが、

 上手くイメージできないのだと思う、、

 

 即時即応、

 私は、

 前にも書いたが、

 最近、

 これから良いようになるだろうとか、

 これから悪いことが起こるだろうとか、、

 変な、

 未来に向けての保険みたいなものを、

 打つのが少し違うと思い始めている、

 起きたことに瞬間的に応える、、

 柔軟に変化していく、

 あらかじめ、

 この範囲で収まるはずだとか収まらないかもとか、

 そんなことを決めないでいこう、

 と思い始めている、、

 

 楽しかったら表現が、とか、

 ある場所に到達してしまったら表現が、とか、

 ないよ、

 具体的に手を動かすだけのことなんだという事実に、

 いつも目を向けていたい、、

 それは、

 日常が楽しい楽しくない、

 満たされている満たされていないと、

 全く違う次元の話だという、

 あたりまえの事実を、

 ずっと見つめていたい、、

 

 私は、おそらく、

 機械になりたい訳ではない、

 見事に管理できる部分と、

 生身の肉体だったり、

 環境との関数だったりして、、

 管理の枠内ではあるが、

 そのリズムが少しずつ狂ったり、

 また戻したりすることの、

 上手くコントロールできない部分との、

 そのダイナミズムに触れ、、

 また自己のコントロール向上を目指す、

 という運動のなかに居たいだけだと思う、、

 向上したい、という思いに対して、

 恥じなくてよくなったのも、

 なにか小学生時代にまでしっかり帰ってこれた気がして良い、

<2959>「『こたけぴんくの漫漫漫』」

 西新宿ナルゲキにて。

 

 本編でも話されていたけど、普通にツーマンライブだと思ってたらまあ出てくる出てくるいろいろな人が。

 お得感がすごいから。

 

 ぴんくさんを目当てに見に行って、いやあ、なんか実物を見るとやっぱりものすごいデカい、という感想になってしまいますねどうしても。デカい。

 

 ネタは覚醒剤をやっていたよという話とか、SPEEDって全部覚醒剤に関係がある歌でしたよね今振り返ると、とか、コインロッカーからローションまみれのビジュアル系の男が出てきたとかいう話をやってました。

 

www.youtube.com

 

 面白いのもそうだけどさ、やっぱりエナジーがすごいよね。

 エナジー大事だなあと思いました。

 

 あと印象に残ったのは金澤TKCファクトリーさん。

 

 漫談をずっとやっていた訳ではないみたいだったけど、普通にずっと漫談をやってきたような。

 

 初手であ、この人変な感じの人だなっていうのを、伝えているというか勝手に伝わっているというか、それがこっちに伝わっちゃうと後はもうずっと面白い。

 

 それからユリオカ超特Qさん。

 なんかぼんやりと存在を知っているぐらいの感じだったけど、ちょっとあの宣伝してた単独ライブ行こうかしら配信あるのかな見ようかしらと思うぐらいにはファンになってしまった。

 

 ひとつのことを続けるだけでもすごいけど、これだけ面白かったらなんかそりゃ長く続いちゃうよな、って勝手に納得させられるというか、そういう感じだった。

 

 やったー。何かいろいろ思わぬ出会いがあって良かった。

<2958>「小学生の私と私」

 たくさん遊びたい、

 たくさん遊びたいから早く起きる、

 作業も遊びなんだな、

 いやでもいやじゃなくてもやるという、

 ルールを課すことも含めて、

 遊びなんだ、

 遊びだから真剣にやる、、

 小学生のとき、

 初めて東京ドームに行けるっていうことになって、

 夜はまず上手く眠れない、

 夜中何回も目が覚める、

 早く朝にならないかな、

 まだ朝になってないな、

 やっと太陽が昇ってきたな、

 でも試合は夜だから、

 まだ日中は普通に学校があって、とか、

 それぐらいワクワクして朝起きていたこととか、

 そういうことを思い出す、、

 

 そういうことを思い出すのは、

 今、もう大人で、、

 あんまりワクワクし過ぎて寝れないとかはないんだけど、

 小学生の私と、

 今の私とがいま一番、どの時代よりも一致している感じがするからなんだ、

 なんとなく班長になったり、

 野球をして遊んだり、、

 何かものを書いたり作ったり、

 これは、

 小学生の私そのものなんだという感じ、、

 結局楽しいこと、

 やりたいことは過去に既にやっていることだよって、

 本当そうだよな、

 

 私は何にも分かっていないんだ、

 そして、

 だから諦めて勉強しないとかではなく、

 分からなさというものの精度を上げていくということ、

 これが肝要なんだなと思う、

 そうすると勉強していても楽しい、、

 分かっていないのに分かったふりをしなくていいから、

 分からないなあ、

 どうしても分からない、、

 この分からなさというのは一体何に由来するのって、

 考えると楽しい、、

 

 よく、

 昔の友達に会うと昔に戻れるとかいうけど、

 私は、

 生まれたときの私から、

 今の私までを、

 ぎゅっと太い線で結んでおきたい、

 途中経過、

 良いことも悪いことも、

 なしにしたくないという思いがあるんだ、

 だから、

 こうして書くことによって、

 線を引こう、

 引いたものを太くしていこうという気持ちがあるのかもしれないよね、

 と思っている、

<2957>「質問より同期」

 人間が何かを探っている過程で、

 実は人より、

 人間が上手くなってしまった部分が、

 いくらもあるのかもしれない、

 その過剰適応は、

 時々気味の悪さとして出現するのかもしれない、

 まあそれはいい、

 毒として出た部分は、

 またどう混ぜていくのかを考える、、

 

 人と話すときに、

 質問が前提となっていると、

 少しこわい感じがするのかもしれませんね、

 というのは、

 受ける側になると少し分かる、、

 まずは、というより、

 主に感情の同期を心掛ける、、

 あんなことがあって、大変だったとか、

 うれしいとか、

 つらいとか楽しかったとか、、

 こんなに気持ちいい日で、とか、

 そういうことを中心に、

 

 私は別に危険にさらされて仕事をしている訳ではありませんが、

 多少

 あ、

 これは下手したら命が危ないかも、

 という場面に遭遇しながらになることはある、

 そういう現場は、

 ひとたび緊張がほどけると、

 みんなよくしゃべる、

 みんなよく笑う、

 あたしもよくしゃべり笑う、

 これも感情の同期、その推移で、

 こわいこわい、大丈夫かなあ、

 ああこわかったね、

 何事もなくて、

 みんな無事でよかったね、

 という安心した笑いだ、、

 危険と隣り合わせだと分かっていても、

 くせになってそういう場所へ何度も戻っていってしまう、

 そういう人の気持ちが分かる気がした、

 

 日常のなかで感情を少し、

 他人だからみんなぴったりとはいかないけれど、

 感情を少し合わせてみる、、

 それが、

 質問するよりも自然なコミュニケーションなのかもしれない、、

 あたしもあなたも、

 シンプルに肉体なのだからね、、

 

 私ひとりでできることは多くないけれど、、

 ある方向性を持とう、

 そちらへもってチームで動けば、、

 何かは起こせますよ、と、

 伝える立場なのではないか、もう、

 現実は他人事ではなくなった・・・