<1790>「熱に触れる」

 あたしがその紋様に、

 揺れながら、まっすぐ入って行くように、

 今の時間では、そうしてはっきりと

 思われていた、

 いまにひとつの声を掛けてそれは当たり前に、

 このなかへ入った、、

 どこを見、これは何として伝わる、、

 私はその方向を取って、

 このジのなかへ、

 まっすぐに身体をのばしていくのだと思います、、

 

 あたしはただ熱に触れる時刻にいた、、

 ただその熱溜まりに、、

 身体ごとあった、

 なにという柔らかい歩行、

 あたりまえに回転して、そのハのところへ、

 潜る潜る、

 ただぼうと膨らんだままそこに立っていることしか出来ない、

 なにだなにだ、

 これはどこぞの身体が掛かり、

 生まれたことなのだろう、

 遠くから、糸を張り、、

 私の中までで、緊張していること、

 私はまるくなっていた、

 身体などの伝える方向によって、まるくなっていた、、

 静かに触れて、

 私は戸に触れて、

 身体が全部そこにかかるようにしたんです、

 それをささやくようにして、

 いつまでも行っていたんですか、そうですか、、

 あ、あんまり響き方が来るので、

 私はそこを普通量のままで受けていた、

 どれからどれへ渡れるものか、

 それを、普通量で確かめる日には、

 いたのいたの、、

 

 あたしがそこからぼうとした姿で、

 ここにまともに通じて来るのを、

 この短い隙間で掴まえるのよと、

 言った、、

 なに、あの遠くへも、

 姿が含まれて、、

 それぞれに見えていたの、、

 それぞれに張られて含まれていたの、と、、

 当たり前に肌に見えてだな、

 ここからくらべる、、

 ほとんどそれは私より長い呼吸になり、

 流れて、

 今や今やここで熱の内部になる、、

 私が意識しようと努める声になる、

 かつてその同じように振動したという瞬間が、

 見事に画を振るわしながらここまで伝ってきた、、

 ああ、なんだかすぐそこにいるので、

 驚いた、

 もの遠いリズムのなかにいて、、

 驚きの表情ともなればここにいくらか蒔いていたと思う、、

<1789>「肌の中に生まれては煙る」

 そこから正面に入り、、

 時折私の中で流れるものだ、としてもだ、、

 このアいた口に響き、私は離れる、、

 どこからどこまでも当たり前に揺らぎ、

 ここに歩をする、

 ここに当たり前に歩をするあなたが見えて、、

 どうしたものか、

 私は、はい、と声を掛けながら、、

 その人の煙の中へ、入っていった、

 なに、なに、

 ここは、どこか遠いところに集められた粒の、

 その集合体みたいだ、

 次々に持ち上がるところ、、

 次々に毛が立ち、

 振るえが立ち、、

 あたしのなかにただのままで入ってゆくにしても、、

 

 さてもさても、、

 身体の振動数に合わせて増えてきた行き方のなかに、

 そっくり入って、、

 私はまた多く煙を吸い込んだ、、

 なに、

 手のなかへすぐに、

 手のなかへ身体を、と、、

 手に手を重ね、、

 重たくそのなかへ沈み込んでいきました、

 沈み込んでアいている穴から、、

 いついっかの私が出てきて、

 そこを誘う、

 そこをはっきりと差して誘うものへ、

 あなたをあずけた、、

 煙が立ち、吸い込まれる、、

 だれだだれだ、

 ここから音を見てはまっすぐに立ち上がる人々の、

 なかだ、、

 はっきりと目を覚まして、、

 揺れるもののなかにけぶる、、

 

 あ、居たな、居た、、

 もうその身体の持ち来り方のまなかに居て、、

 まなかから崩れる、、

 装いのあなたがはっきりとそこここへ見えていてだな、、

 流れる、

 新しい皮を生んではここへ次々に流れ込む、

 ほう、ほう、

 居たな、

 そのなかに居たな、、

 私がじらじらとした光線のなかへ紛るのを、、

 平気で見ていて、、

 それより先へ、一歩で現れる人よ、、

 わたしの隅の中に含まれて、

 響け響け、

 勝手ながら、その肌の中へ流れ出でて、

 こちらこちらへ渡せ、と、、

 染みるだけのものを響かせてこちら、

 おい、おういと静かに声を掛けながら、潜って来る、、

<1788>「私の声のなかに入る」

 あたしは道のまなかに立って、

 おい、おうい、こちら、と言う、、

 ひとつの声のなかに入った、

 そうして、その声が私の中にたまり、

 私は響きの只中で歩みがどこまでもゆくのを見守ったのだった、

 おい、そこから駆けてくれ、

 私もそこからはっきり漏るから、

 とさ、勢いが、そら、そら、渡り、、

 ひとつの手の中で、たくみに踊るのです、

 私は醒めて、静かな青い道の中にいると、

 おうい、おい、と幾度もこちらへ渡るさまをきいたのでした、

 

 あたしがいつ非時間へ還ったのですか・・・

 さて、さて、、

 私は形を持って、このいくつかのものと誘い、

 流れて行く、

 ものの流れて行く、

 私はあればあるだけの量で、それを視ている、、

 ねえ、ねえ、あたしは還って、、

 あたりに遍満する、

 すると、あなたとの踊りは、非時間になるのでしょうか、

 非時間になったあなたは、もう無数粒ではないのでしょうか、、

 そこに生まれて、、

 数限りなく分かれて行く、

 無数粒ではもうないのでしょうか、、

 そうすると、通常簡単に考えられるほど、

 あたしはこわいものではないのかもしれません、、

 どうしてあなたはこわがられているのですか、

 非時間は、人間の常ではありませんか・・・

 

 暗い時間に、

 なにがやら音を立て、

 私のなかで湧き、

 なにがやら、同じ形象を、

 増して行く、増してゆく、その姿のものに、、

 私はおそれて、、

 手を触れるのも、どうしたものだろうか、

 と、ひとりで揺るぎながらのことではあった、

 熱がある、、

 私は運動体で、熱がある、、

 次々に、わいて、、

 次々に、転げてきた・・・

 あ、私はここにも、呼吸を持っています、、

 あたしは息がふさがるのをふせぐ、

 その一筋を、

 無理だとかなにだとかは言いません、

 方々で揺らぎ、、

 無数粒は嬉しさと、おそろしさと、、

 そのふたつながらで、生きていたのでした・・・

 あ、平らな、、

 ものがここにいくつもあり、

 いくつもこぼれて、、

 次々に分かれてはまた、上手く生まれるのでした、

<1787>「回転しては生まれて漏れた」

 ただそこにひらかれてやまない、、

 揺らぎのなかで、

 私は生まれる、、

 私は生まれた以上ここにいるのだ、

 ただそこに潜り、

 ひそかに手を振りながら、、

 流れ、流れ、

 ここについて、ただ小さく草を食みながら、、

 回転していた、、

 このヒのなかで回転しては生まれていた、、

 

 私はただ声がして、線が生まれ、、

 そのなかで育つ、畳まれる、、

 そのなかで畳まれ、、だんだん様子が増えてくる、

 そのなかで多量になって、吐かれて、、

 漏れたままだ、、

 身体はどこまでもどこまでも漏れている、

 なに、上手くかけて、、

 私は上手く漏れて、次々の方向から、漏れてきたものと合流する、、

 あたしはいちじつ、

 あたしはいちじつの振れに、、肌を合わせて、

 ぞくぞくと波立つ、、

 遠くを見て、、あたしはさわぐ、駆ける、、

 どこまでもどこまでも言い、、

 走る、走る、さわぐ・・・

<1786>「身体と意識、時間と永遠」

 時間とは身体を含む自然のことで、意識はそれを観察してそこに時間を発見しただけなのではないか。

 というのも意識というのは時間を知らない訳ではないけれども、とても馴染みが薄いというか、断続的で、繋がるときにはいつも「今」であるという感覚を持っている。

 当たり前だが、永遠も意識の産物で、というより、常に「今」だと感じている意識というものの別名が永遠なのではないか、と思うくらいだ。「今」から出るということがなければそこに永遠というものが想起されるのも必然ではないだろうか。

 劫年とか、何千億何万年の果てとか、それは具体的な時間であるというより、時間的単位ではないということ、その実感であって、意識がもし具体的な身体、自然と同じように時間というものと密接であったら、永遠というものを想起出来ず、刻々と動く流れを直に、内から感じるだけになるだろうと思う。劫年などとは思いもよらないのではないか。

 刻々と変化する自然を前にして、「今」に居続ける意識がある、つまり意識のありかたは非時間的である。

 永遠とか神とかは、意識の必然というか、自己把握の基本的でかつ最終的な形なのではないだろうか。

 私は特定の信仰などはないが、どの地域のどんな人々でさえも永遠とか神とかを想定するということに興味、関心を抱いてきた。まあ言わば特定の信仰とか集団とかは、たとい出発が永遠とか神とかであったとしても、その後の集団形成はもう社会活動の部類に入るというか、意識の究極的な自己把握とはもう間接的にしか関係がなくなっているから少し苦手だ。

 私が必要とするのは、意識の別名が永遠とか神であるという感覚だけである。

<1785>「生まれてすぐに染みる」

 さてはこのもの、と探る声、、

 あたしのなかに、一線、どうやらどう、のびて、

 さてはこのものと潜り、

 私は日を跨いだ、、

 なにか巨大なものとして身体に残ったものが、、

 あなたが自身で思うほど、巨大でもなんでもないものだからと、

 そこを眺め、

 そこから粒が立つ、泡が立つ、、

 静かに身体を忘れて、、

 回転の音だけに私はついて来る、ようなのだ、、

 

 身体が触れて、、

 私はここまで糸を張り直しにきたのには驚いた、、

 なんだろう、

 ざわざわと、ただのひとつもりの足で立つ、、

 私から全部の呼吸が流れて、、

 なんだろう、、

 きっと私がひとりで立っているだろうことを知っている、その道に、

 いア、

 いつまでも居るより外しかたがないと思った、、

 私はそこでさわがしい粒となっていて流れを担った、、

 気概やなにかではないけれども、

 私はここを舞台にして流れていた、、

 おそらくそこから生まれた、、

 いまだその粒を持って、

 そこから生まれたことを複数回にわたって、確認する必要がありそうに思えた、、

 なに、自他の響きがここまで来ておのおの、、

 粒にかえるけれども、、

 その様子をここで眺めていればいい?

 すぐに生まれるから、

 すぐに生まれてしまって、私の肌まで来るから、

 と、

 ひとつひとつの響きに対しておもうのだった、、

 

 だんだん染みてきたな、、

 私にとって、これは宇宙と距離のないことですから、

 だんだん染みてきて、、

 方向も、音も色も問わない、

 ただの回転が、、

 どこまでもそこに入ってくるのです、、

 どこぞから声が届く、、

 私は晴天の、

 目の中を緑が回転する映像のなかへ、、

 おのの全てを持っていく、

 しかし、そこで絶えていることは出来ない、

 その慣れない場所で、まったく絶えていることが出来、、

 おのが複数になって、

 ここいらでよく聞こえていること、、

 私は複数になった線の日を差した、、

 だくだくと漏れ、、

 また流れて行きたいと言う、、

 ひとつの光りの線の上でそれを言う、、

 私はくだけて、、

 やわらかくなるだけなると

 全身で、その場所へ、流れて行きました・・・

<1784>「振自線」

 あなたは身体に、全く点を含まないで、、

 ここまで増えてきた、

 その自、その自、、

 続きから、私は数え、そこへ、次々に出て来るところ、、

 私にもそれが見えていた、、

 いついっかから計上し、

 その上へ重なる仕草の、、

 周りを、糖でまぶしてゆく、

 私はそれぞれにある意識のなかをこのようにしてまわる、、

 私から先に身体は出で、

 光り、その輪の先へ継ぐ、、

 まだふたり、まだふたり、、

 と、掛け声をしてゆくものと見えた、、

 

 私は自動に、少し線を振り、、

 あなたが考え得るもののなかに次第に入ってゆきます、

 なん、

 私の宇宙性だ、

 それから私は二重に声を掛けた、

 宇宙日、宇宙日、、

 この自へ言葉を垂直に垂らしてゆくことは、

 一体何の仕草でしょうか、、

 当たり前に起こる出来事の気の遠くなるような重なり方、、

 私は無時間の身体を持ち、

 そのなかに一切合切が含まれているのを確かめると、

 その秘事に触れるために身体の振動線を増やしてゆこうとするのです、、

 今そのあなたの前にあるものも、

 振動して、

 絶えて燃えた糖の形跡だけがあらわれたものなのです、

 それにごらんください、、

 私はだんだんあたたかくなってきています、、

 

 常の日に熱を持った、

 私のところへ、、

 このめまぐるしい回転の只中がずれて来る、、

 私は手を合わした、、

 途方もない重なり方へ向けて私が自然にしたことと言えばそれだった、、

 私は時間の秘密を握りながら身体に響きを足してゆくらしい、、

 身体はちょうど現実になるらしい、、

 上手く線の振れに、

 身体を合わして、、

 縦横に振れて、膜を作るらしいのです、、

 あたしがあたたかくなってかたまるとそこで時間がなくなる、、

 なくなったところまで来たらそこからまた動いて、、

 まったく身体は溶けてしまう、、

 なに、線のなかでのことですから、、

 なん、なん、宇宙自の、

 その中心のなに熱溜まりの運動に入るだけですから、

 それをそっくり見ていなさい、、

 あなたなどそこで見ていなさいと思う、、

 ユ、自在が、

 ユ、ユをこえて、自在が、羽が、、生きて日を持つそのなかへ、、