退屈を加速させたくない

 例えば誰かに手紙を送ったとします。そして、その返事がたとえ2~3日ぐらい返ってこなくとも「まあ、そんなすぐには返ってこないだろう」と私ならそう考えます。

 それに対して、メールを誰かに送ったとして、そのまま2~3日ぐらい返ってこなかったとしたら「あれ?おかしいな」と思います。 同じ2~3日なのに、情報伝達が素早くなったことで、ものすごく長い間待たされているような感覚を覚えてしまう。 もし、今後更に情報伝達が素早くなれば、どんどん待てる時間が短くなってしまうんじゃないか? 一分が一秒が・・・というような危惧を持っています。

 

 そうしたらまたどんどん素早くすれば良いのではないかと考える人が居ても全然構わないのですが、上で述べたように、情報伝達を素早くすればするほど人間は待てなくなると思います。 私はこれを「退屈が加速する」というような形で捉えています。

 

 私は、もうこれ以上「退屈を加速」させたくないのです。何故なら、この世にひょんなことから生まれさせられて、ふと、よく世の中を観察して見たならば、人間がどうしてもやらなければならない事柄や使命なんていうものは全くなく、どうにか死ぬまでの間にいろいろな暇つぶしや退屈しのぎをしなければならないという状況に置かれていることが分かってしまったからです。 その上にきてまた、積み重ねるように情報伝達速度の上昇をやられたら、せっかく暇つぶしをなんとかしていたのに、良い迷惑なのです。

 

 だから、私は本当は携帯電話を持ちたくないぐらいなのですが、これだけ携帯電話でのやり取りが当たり前になった世の中で、持たないというのは不便が過ぎるので仕方なく一応持っています。 ただ、電話とメールができればそれで充分です。それ以上のスピードは要りません。