自殺した人達の方が・・・

 毎年、三万人近くの人達が自殺しているという話は、下のページでも書きましたが、

 

うつは甘え? ~頼り方を教える~ - そうだろうね、いやどうでしょう

 

 私は、「少子化」を叫ぶより、自ら命を絶つ人達や、その他にも「もう死んでしまいたい」と考えている人たちが大勢いるという事実を先に考えていくべきだと思います。もう死ぬ、死んでしまおうかと考えているときに、種の保存もクソもないんですから。それなのに、国のために子どもを増やせと囃したてたりして、人間を機械か何かと勘違いしているんじゃないか。感情があるんですよ。己が「もうこんな世界」と思って絶望している所に、自分の子孫を残したいなんていう気持ちが起きますか?という話です。

 出生率が下がったというのは、別にセックスへの興味が失われたとか、男性が草食化したとかいう理由だけではないと私は思います。「もうこんな世界」と思っている人がそれだけ多いんだと思いますよ。私は、生きているとこんなに嫌な思いをするのかということを考えると、とても「子どもを」なんて気持ちは起きません。

 

 また、これだけ自殺が多いと、

「どうしてそこまで追い詰められたのか」

ということが言われますが、自殺が社会的に善か悪かは脇に置いておくとして、私は

「自殺していった人達は、ごくまともであった」

というように思います。自殺を肯定する訳ではありませんが(近しい人に死なれたら悲しいですから、出来れば否定したいです)、少なくも「まとも」であったということは言えると思うのです。何故なら、こんなにも他人の醜さ、社会の醜さ、ひいては己の醜さに直面していながら、絶望しない方がおかしいと思うからです。

 ですから、

「何故そこまで追い詰められたのか」

というのではなく、

「自殺しないでどうにか生きている多くの人々は、何故そこまで追い詰められなかったのか」

ということを考えないと、自殺問題の改善は見込めないと思います。

 

 それで、そのことについてですが、私が思うに、「追いつめられない」ためには、

 

       「狂う」

 

 しかないのではないかというように考えています。それも、行き過ぎないように上手く「狂う」(薬物中毒など種々の中毒は行き過ぎてしまった例ですね)。

 方法は、行き過ぎずかつ上手ければ何でも良いんですが、酒を飲む、パーティでドンチャンやる、むさぼるように本を読む、何かに熱中するなどなど、自分に合った「上手い狂い方」を見つけるしかないんじゃないか、それが生きていくために大事なんじゃないかというような気がしています。

 

 ちなみに、これも善か悪かは良く分かりませんが、社会的に有用な「上手い狂い方」というのは、

 

     「都合良く忘れる」

 

ということです。他人が残酷であること、社会が残酷であること、己が残酷であること、こういうのを全部都合よく忘れて初めて「種の保存」を成し得ます。

 皆さん、どうぞ都合良く忘れていきましょう。