取らぬ狸の、というのか

 何かを続けようと思って、何でも良いから始めてみる。そうすると最初は、自分の元々の習慣に無かったものを取り入れる訳だから苦戦する。しかし、なかなか続けてみると、案外苦痛でもなくなってきて、続けるのが当たり前になってくる。楽しくなってくる・・・。

 

 ここまでは良いんです。ただ、続けていることが習慣化してくると、この習慣を続けることが何でもないような気がしてきて、

   「取らぬ狸の皮算用」(使い方あってるかな?)

みたいなことを、ついついやろうとしてしまうんですね。これが良くない。

「あー、今これだけやれているってことは、もしこのままのペースで続けていったら、半年後には凄い量になるな。」

というヤツです。まだやってもいない分まで勘定に入れ始めているんですね。

 何でこれが良くないかというと、半年後なら半年後、一年後なら一年後に、こなせると思われる量に圧倒されてしまうんですね(まあ、こういう先々のイメージを持った方がやる気が出るという人もいるでしょうから、タイプに寄ります)。

 この、「こなせると思われる量」に圧倒されて、

「ちょっとこんな量はこなせないかもしれないな」

であるとか、

「これだけ量が増えていくということは、ずっとは出来ないかもしれないな」

というような、ネガティブな気持ちが出てきて、非常に萎えてしまうんですね。別に一日にやる量は、たいしたものじゃない、ささいなものであるにも関わらず、です。

 なので、ある程度こなすのが当たり前になって習慣化してきたときに、「取らぬ狸の・・・」が頭をもたげてきたときは、その気持ちを無視するようにしています。

 が、なかなかこの「雑念」というのは強力なので、今日書いておきました。何故書くのかは下のページに書いたとおりです。

 

あれもこれもしたくて焦るとき - そうだろうね、いやどうでしょう