「今日が楽しければそれで良い」という人を笑えるか

 有名な寓話に、『アリとキリギリス』というものがありますね。厳しい冬を越す為に、せっせと食糧を蓄えていたアリは冬を越すことが出来、備えをしていなかったキリギリスは冬を越すことが出来なかったというストーリーです。おそらく、しっかりと準備をしておくことの大切さ等々の、ある種教訓めいたものも話の中に含まれているのでしょう。

 しかし私は、このキリギリスを笑えないし、

「馬鹿だねえ」

と安易に思うことも出来ません。何故なら、虫も、もちろん人間も、いつ死ぬか分からないからです。

 せっせと食糧を運んでいたアリだって、必ず冬を越せる訳ではなく、運んでいる途中で踏み潰されてしまうかもしれませんし、また、巣の中にいるから安心だと思っていても、いきなり巣の中に殺虫剤をまかれたら、もうお終いな訳です。ストーリーの中では、アリの方がキリギリスよりも長生きすることになっていますが、現実では上の例に挙げたように、そう単純に事は運びません。遊んでいたキリギリスより、先に死ぬアリも、後に死ぬアリも必ず存在するでしょう。

 そうすると、先にも述べたように、その日暮らしで遊んでいたキリギリスの生き方を、外野から笑うことが出来るかというと、そう簡単には笑えないんじゃないかというように思ってしまいます。儚い世の中において、

 「今日が楽しければそれで良い」

という生き方のどこがおかしいのでしょうか。明日の命は不確かなのに。

 勿論、遊んでいたんじゃ冬は越せないからというんで、せっせと備蓄するアリはアリで賢明だと思います。ただ、それに対してキリギリスの、儚い命であるならば、せめて今を楽しもうとする姿勢も同様に、賢明なものだと思います。どちらが賢くてどちらが愚かという事では無いような気がします。