「何でもアリ」を訓練で取り戻していく

 何という番組名だったかは、ちょっと把握していないのですが、NHKの番組で、親子(確か親子でした・・・)に、各々画用紙に自由に、ぐちゃぐちゃな線だの円だのを黒ペンで描いてもらい、描き終わったらその画用紙を親子で交換し、各々相手のぐちゃぐちゃな絵を見て、連想したものを描き足していく、といったコーナーがあったのですが、その出来上がる絵が面白いのは勿論のこと、子どもと大人の、絵の自由さの違いに驚かされたのでした。

 まず、ぐちゃぐちゃに自由に描くといったテーマが与えられたとき、子どもの方は、本当に見るからにぐちゃぐちゃに描くのですが、対して大人の方はというと、ぐちゃぐちゃに描いてはいるのですが、どうもそこにある種の規則性みたいなものがつきまとい、自由度が制限されているのです。

 そして、各々ぐちゃぐちゃに描いたものを交換した後、それを見て連想したものを描き足すという最後の作業に至っても、大人は、

「確かにそういうように見えるなあ」

とこちらも思えるものを描き足しているのですが、子どもの方は、

「そのぐちゃぐちゃな絵から、そんなものを連想した!?」

と思わず言いたくなってしまうほど、発想が自由なのです。

 勿論、絵は点数をつけるものではないですし、評価は主観的なものであって、大人と子供の両方の絵のどちらにもそれぞれの良さがあるのですが、こうも規則性みたいなものから自由になっている子どもの絵を見ると、こちらも新鮮な驚きを覚えて、なんだか楽しくなってしまいます。

 なにも絵に限らず、子どもの遊びなどに関しても、大人からすれば、

「何だそのルールは!?」

と突っ込みたくなるような、独特の発想があるものも多くて、なかなかに味わい深いところがあります(笑)。

 しかし良く考えてみれば、大人だってかつては子どもであった訳であり、子どものような、

「何でもアリ」

の発想を、各々が持っていたはずなのです。ただそれが、世の中に組み込まれていくにしたがって、

「これこれはかくあるべき、かくある方が良い」

といった常識、規則に大きな影響を受けて、自由な発想は徐々に失われていってしまうのではないでしょうか。

 もちろん、常識や規則が入ってくることが悪いと言いたい訳ではないのです。

「かくある方が良い」

というのを学ぶことによって、プラスになることも多々ありますから。ただ事実として、

「何でもアリ」

の精神は、そういった過程で仕方なく失われていくのだと思うということです。

 しかし、仕方ないとは言えどもやはり、

「何でもアリ」

の精神は大人になってもある程度失わない方が良いんじゃないかと思うんです。何故なら、

「その方が楽しいから」

としか言えないですが(笑)。

 そこで、大人は一度、

「何でもアリ」

の精神を失っていますから、子どものように無意識的に自由な発想を得ることは難しいので、訓練を自らに課す必要があるのではないかというように思います(別に訓練といっても、皆がやれよってことではありません 笑 私がしたいだけです 笑)。

 では具体的に何をすれば良いのかということは、ちょっと考えるのが難しいのですが、常識や規則を知っているということを逆手にとって、そこから常識や規則、はたまた非常識や不規則など、全て関係ないという境地に至れたらどんなに楽しいだろうということをこの頃思います。