効果的なトレーニング以外は全て無駄だったという錯覚

 筋トレをしているとよく、陥ってしまう考え方があるのですが、例えば、新しい筋トレ法を自身のメニューに導入したとき、それなりの手応えがあった場合に、

「何だ、今までのトレーニングは無駄だったじゃないか。最初からこのトレーニングだけをやっていれば良かった・・・」

と考えてしまうんです。

 しかしその考え方は、いくつかの面からみても、間違っていると思いますし、「今までのトレーニングが無駄であった」というのは錯覚だと思います。

 というのも、まず、筋力的な方面で言えば、いかに効果的でないトレーニングを今までにやってきていたとしても、それは全く無駄だった訳ではなく、ささやかであるかもしれませんが、負荷のかかりに応じて筋力は積み上げられている訳でして、その上に効果的なトレーニングが乗っかるがゆえ、下地がある分効果的なトレーニングの成果もその分だけ上がるわけです。

 また、効果的なトレーニングを行うというときの、その「効果的」とは何かということを、観念としてではなく、体感として感じるためには、「効果的ではない」トレーニングを経過しないとダメなんですね。それは、わざと効果的ではないトレーニングをするということではなく、自分では効果が出るつもりでやるのだけれども、筋トレをやりながら、

「どうも上手い事いっている感じがしないなあ」

であるとか、

「もっと効果的なやり方は無いものか・・・」

という悩み、考えをくぐらないと、その先に効果的なトレーニングが見えてこないということです。ですから、今までに行ってきた効果的とは言い難いトレーニングは、無駄なのではなく、効果的なトレーニングに辿り着くための道のりであったと言えるでしょう。

 イヤイヤ、効果的とされているトレーニングだけつまんで取り込んでいけば、効果的でないトレーニングを経る必要はないじゃないかと思われるかもしれませんが、なかなか、事はそう簡単には運ばないもので、効果的とされているトレーニングが、必ずしも自分にとって効果的とは限らないんですね。ですから、自らが実際に行う中で、良い方法を模索していくより仕方ないんです。模索を避けようと思っても、それはほぼ不可能な道だということは言えると思います。