「~がない」ときの興奮がもっと大きければいいのに

 身体が元気だということは素晴らしい事であると同時に、あまりその有難さを実感できないものでもあります。要するに、

「~がない」

ということの喜び、興奮といったものは、あまり大したことがないんですね。

 例えば、身体が、痒くない・痛くない・寒くない・熱くない・重くないというような状態は、各々の症状が出ているときの辛さを考慮に入れれば、

「おお!何の辛さもないぞ!よっしゃあ!!」

と雄叫びをあげても良いぐらいの、素晴らしい状態であるにも関わらず、実感としてはそれほどでもなく、それ(健康であること)が当たり前のように感じてしまうのです。かろうじて、治って間もない期間に、わずかな興奮を得られるぐらいのもので、その後、身体の調子が良いまましばらくの時が経てば、身体の調子が良いということで物凄くテンションが上がるというような事はまずありません。

 ですから、何も年がら年中興奮していたいとは言わないまでも(もしそうなれば疲れてしまうでしょうから)、私は、

「身体が何の辛さも感じていないとき、そのことでもうちょっと興奮出来たら楽しいだろうになあ・・・」

ということをしみじみと思ってしまうのです。何かの症状が出て初めて、調子の良いときの有難さ素晴らしさを実感するのはワンタイミング遅いんだよな、と自分の身体に言いたくなります。

 もっと、調子が良いということの有難さが、観念としてではなく実感として得られるようになれば、どんなに落ち込んだり塞ぎこんでいたとしても、

「とはいえ、こんなにも健康じゃないか」

と自然に思えて、随分と気分が盛り返せるような気がするのです。