赤ん坊は、何も知らないから無邪気に笑っている訳ではない・・・のか?

 私はいままで、

「赤ん坊は、世の中の残酷な部分、汚い部分を、まだ知らないから、あんなにも無邪気に笑っていられるのだ。そうすると成長するにつれ、無邪気に笑っていくことも減っていくのかなあ。切ないなあ、。」

などと、赤ん坊が無邪気に笑うことについて勝手な解釈を加えてきましたが、外山滋比古さんの著書、『「マイナス」のプラス』、三木成夫さんの著書、『内臓とこころ』、吉本隆明さんの講演集*1などに触れて、少しその考え方を改めるようになりました。

 何故というに、それらを読んだり聴いたりした結果、

「赤ん坊ほど、世界の大転換を経験する時期というのは、一生涯においても他にないし、人生のうちで起こる数々の困難も、赤ん坊の時に起こる困難(大転換)に比べたら大したことない」

ということに気づいたからです。つまり、赤ん坊は、今まで自身の母親の腹の中にあり、他者と文字通り一体であったという状況から、突然一個の個人として外界に送り出されるという大転換を経験しているのです。その後各々の人間がどのような人生を送ろうが、これ以上の大転換を経験することは出来ません。

 赤ん坊は困難を知らない訳でもなく、残酷さを知らない訳でもなく、言葉にして伝える術がないだけで、その後の人生で起きるどんな困難よりも大きな困難をその時期に経験しているのです。その上で、赤ん坊は無邪気に笑っているのです。

 では、それほどの困難に遭いながら、何故赤ん坊は、あんなにも無邪気に笑えるのでしょう。専門的なことは分かりませんが、おそらく私は、

「あんなに大変な困難を受けて、ビャービャー泣き叫んでいたはずなのに、ふと気がつくと、そんなに泣き続けるほど大変な状態にある訳でもない。むしろピンピンして生きているという事実」

に直面した赤ん坊は、思わず笑わずにはいられなかったのではないかと思うんです。

「何だよ、全然平気じゃん」

ということに気づき、当たり前に生きられているということに気づいて、嬉しくて仕方なかったのではないでしょうか。

 そうすると、誰であろうが、いくつになったって、何も知らないかのように無邪気に笑うことが出来るということです。何しろ、相当な困難に直面したばかりの赤ん坊があんなに無邪気に笑っているのですから。