腕力に対するコンプレックスと安心と

 私は、自身の腕力のなさ、肉体的な力が弱いということについてコンプレックスを、あるいは安心感を抱いている。 

 腕力がないということを非常にコンプレックスに感じるようになったのは、小学校高学年から中学にかけての頃であったように記憶しているが、やはり、腕力がある人々の有無を言わさぬ存在感、向かい合ったときに感じる圧倒的な無力感から、

「私にも腕力があったなら、どんなにか良かったことだろう・・・」

という考えを持つにいたった回数は数知れない。

 小学校や中学校の社会に比べれば、大人の社会というのは、

「腕力があることに拠る、その存在の絶対感」

のようなものが多少薄まるので、今はそれほど腕力のなさにコンプレックスを感じるような出来事には遭遇しないのだが、それでも、思春期と言われる時代に、自分には腕力がなかったのだという記憶は、今でも、ことあるごとにコンプレックスとして思いだされる。

 また、矛盾するようであるが、上述のように私は、自分に腕力がない(なかった)ということにたいして、いくらかの安心感も同時に抱いている。それというのも、もし仮に、思春期と呼べる時代に、私に腕力が備わっていたらと想像すると、怖ろしくて仕方がないような気持ちになるからだ。

 小学校高学年から中学校にかけて、特に中学時代、私は家庭にも学校にも安心感というものを見いだせずにいたので、もしそんな時期に、自分に腕力が備わっていたら、間違いなく暴れたい放題に暴れていただろうというような気がするのだ。

 だから、過去のことだし、たらればの話なので、もし腕力があったら実際にどうなっていたかということは分からないが、腕力がなかったことで、悲惨なことにならなくて済んだことがいくらかあるのではないかというような気がしている。