隠すことの方がみっともないんだよ

 以前、『買ったのもダサいが、捨てるのはもっとダサい』という話を書いて、今日はまたそれに似た話になるのですが、つまりは、どちらがよりダサいのかというテーマで、少し書いてみたいと思います。

 それで、何についてのダサさを論じるのかというと、「家庭内不和」をどう扱うかによって生じてくるダサさについて論じるということになってきます。

 やはり、家族の仲があまり宜しくないというのは、あまり褒められたものではないですし、あからさまに自慢してまわるようなことでもないと言えるでしょう。要するに、そういった事実自体がすでにもう、

「みっともない、ダサい」

ものだと言うことが出来るかもしれません。

 しかし、だからといって、ことさらに「家庭内不和」を隠し、体裁を繕って、まるで家庭内には「不和」というものが存在しないかのようにふるまうのは、「家庭内不和」があるという事実より遥かに、

「みっともないし、ダサい」

と私は思っています。

 確かに、「家庭内不和」は、世間においてあまり褒められるものではないと思いますが、たとい家族と言えども、そこは人間同士なので、望まなくても「不和」が生まれてしまうことはあるでしょう。ですから、みっともないとは言えど、仕方のない部分もあると思うのです。

 問題は、それを隠すことです。それは、世間に対して嘘をつくことにもなりますし、自分たち自身に対しても嘘をつくことになります。私は、嘘をつくことはなによりもダサいと思っているので、家庭のなかには確かに「不和」があるのに、ひとたび外に出たら、家庭には何の問題もないかのように装うその精神が許せないし、みっともないと思っているのです。