動いているのは分かる 瞬間々々に失われていっているというのは分かりにくい

 人にしろ、天気にしろ、日の巡りにしろ、それが動いているというのは良く分かるし、捉えやすい。

 一歩前に足を踏み出す。そうすると、元いた場所からは、いくらか動いているし、天気で言えば、雨粒などが、空から落ちてきているのは良く分かる。

 しかし、動いたその瞬間から、動く前のものは過去となり、その一切が失われて、無きものとなった、という事実は分かりにくいし、捉えにくい。

 一歩前に踏み出すと、踏み出す以前の自分は失われていて、雨粒が落下していくと、落下する前の、その雨粒は既にこの世に存在しないものとなっているという事実は、頭では分かっていても、心の底から納得することが難しい。

 一歩前に踏み出した私は、消えてしまった訳ではなくて、一歩前に出ているだけのはずだ。しかし、過去に、もう存在しない人物としての私が、踏み出す以前の場所に、確かに居る。

 踏み出す前の場所にまた戻ってみても、それは、同じ場所にいる(過去の私とは)別の私なのだ。それは、過去はもう無いという事実に照らせば当たり前のことかもしれないが、踏み出す前の私と、もう一度そこへ戻ってみた私は、同じものなような気がしてならない。