心地悪い状態を受容するということですよ

 以前、『リズムが異なる、ただそれだけでイライラするのかも』というものを書いたのですが、それに関連して、私は、何故自分とは何の関係もない他人にイラッとして、正義感とか常識を振りかざしたくなるのか、ということに非常に興味を持っていまして、きっとそれは、ゾウがゆっくりと上げた足をなかなか下ろさないのを見て、イラッとするように、自分と相手とのリズムが異なっているというただそれだけで、人間はイラッとしてしまうように出来ていて、そこで何か言ってやりたいような気持ちになってしまうためであると思っています。そして、そこでもって常識を振りかざすのは、別にその人が何も、人格的に素晴らしいからとかではなく、常識というものが一番、相手にダメージを与えられるからこそ、その場で常識を利用しているだけだというように思っています。

 つまり、何の関係もない他人に常識を振りかざしてしまうのは、相手が常識から外れているからというのが直接の原因ではなく、ただ、自分とのリズムが異なっているというだけでイラッとしてしまい、そのイライラを効果的にぶつけるために、つい常識を利用したくなってしまうためであると思います。

 そして、

「リズムが異なると、イラッとする」

ということが正しいと考えると、基本的には、自分のリズムと周りのリズムとが調和していた方が快適なはずだと言うことが出来ると思います。

「周りの皆が、自分と同じリズムである」

方が、ストレスは少ないはずです。

 そうすると、最近やたらに見かける、

「みんな違って、みんな良い」

って、本当かな? どこまで本気でそう思っているのかな?という疑問が頭をもたげてくるようになります。その、

「みんな違って」

と言うときの「違い」は、一体どこまでの違いを指すのかは分かりませんが、もしそれが、個人々々のリズムも含めての「違い」であるならば、

「みんな違って」

いる状態というのは、非常にストレスフルで心地の悪い、イライラする状態だというように言えるのではないでしょうか。

 ですから、

「みんな違って、みんな良い」

と言ったからには、非常に心地の悪い状態を受容しなければならなくなる、ということになると思っています。もちろん、その状態が悪いとは言いません。全員が同じリズムで動いているのもそれはそれで恐怖ですから。

 ただ、

「みんな違って」

いる状態というのは、そんなに無邪気に、

「良いなあ」

と言える状態ではないということも頭に置いておいた方が良いとは思っています。それぞれの違いを受け容れ楽しむということには、それ相応の努力が必要になってくると思います。