おそらく、何かを隠してはいるのだろう それが何かはわからない

 以前、『良いことの方を、無かったことにしていないか?』というものを書いて、その中で、醜いものであろうが美しいものであろうが、それを隠すのはみっともないから、隠さずに行こう、というようなことを表明した。

 しかし、たといその言が本心に限りなく近いものであったとしても、それは所詮「ポーズ」である。何でも書く、変に隠したりしないと、いくら自分で決めていようが、それはどうしても「ポーズ」の域を抜け出せない。どうやったって、

「書かないこと、書けないこと」

は出てくる。それはもちろん、時間の制約といったこともあるが(せいぜい長生きしたって100年程度のものだろう)、それ以上に、意識にも上らない無意識下で、知らず知らずのうちにストップをかけて押し込めてしまっているだろうことが想像できるという問題がある。

 きっと私は、どうしても触れたくない何かを、表明せずに隠している。ただ、隠しているということには想像が及んでも、では一体何を隠しているのかということになると、それは自分でも分からない。前述したように、意識に上ってきていないところで、ストップがかかってしまっているからだ。